「寝起きでテキーラ飲んでいた」苦労と挫折を味わったキャバ嬢人生から経営者になるまで。春咲ひなたの成り上がり人生録

マツコ会議など多数のメディア出演の経験がある、歌舞伎町azian club在籍の有名キャバ嬢春咲ひなたさん。
現在は人気マツエクサロンの経営者です。
彼女はどのようにして人気キャバ嬢になり、そこからどのようにして経営者になったのか春咲ひなたさんのキャリアに迫ります。
【春咲ひなた(はるさきひなた)】1989年生まれ東京都出身。歌舞伎町azian club(アジアンクラブ)の元看板キャバ嬢。マツエクサロンEyelashsalon DOORの経営者として活動しながら、現在も自分自身の美意識を保つ目的と女性のトレンドを収集する目的の為に毎週木曜日2時間だけキャバ嬢として出勤を続けている。
目次
朝キャバは夜よりハード!?





朝キャバのお店を選んだポイントを教えてください!









お客さんの上に女の子が座ってたり、初めての体入だったから本当に衝撃的だった!




寝起きでテキーラを飲まされる






その人はおじさんの膝の上に乗ったりしなくて、ただ単に接客が上手くて。お客さんを楽しませて売り上げがあるお姉さんだったから、その人を見習うようにしてやってたから続けられたかな。










朝キャバより夜のキャバクラの方がチョロい!?












ナンバー1になって、しばらくの間調子に乗っていた


元々空気を読む能力には長けてて、団体のお客さんとかも回せちゃうから、1人のお客さんを頑張ってシャンパン入れさせなくても、何人も連れてきてくれたらそれだけでお会計が跳ねるから、そこまでの苦労はしてなかったかな。
あとは、敵が弱かったのもある。

そのお店から、アジアンクラブに移籍したきっかけってを教えてください!











アジアンクラブには女同士の派閥が無かった






女の子同士の派閥ほど、無駄なものってないと思っていて。お客さん相手に、お金を稼ぎに来てるのに、「何で女同士でケンカしてるの?」って話じゃないですか。だから、お姉さんが幅を利かせてるみたいな事が無いお店がいいなと思って。


みんなが競い合って、派閥を作ってバチバチ戦うというよりは、個人事業主の集まりみたいな感じですかね。


「敵が強かった」キャバ嬢人生初の挫折


























れおに嫉妬してよく泣いていた




パッて見たらその時れおは、「もう〜かわいいから5万やるよ!」って5万円もらってたの。




直感で決めたセカンドキャリア






私はキラキラしてる段階までがキャバ嬢だと思うから、やりたいことがなくて、ずるずる中途半端な売り上げで、「あぁ行きたくない、まぁでも行かなきゃ…」って行くベテランキャバ嬢みたいな感じには、元々、あんまり美学を感じられなくて。


私自身も20代後半に差し掛かって、そういう考えが頭の片隅にあったタイミングで、昔在籍していたお店の女の子とたまたま再会して。その子が「まつエク屋さんをやりたいけどお金がない」って話をしていて、私はやりたいことは無いけど、お金はあるみたいな状態で。
「じゃあ一緒にやろうか!」っていう感じでマツエク屋さんを始めました。




だから、正直勉強っていう勉強はしてないです。






通えば通うほど安くなるシステムにしていて。入り口は普通のお店が4,000円で安売りしてるところ、ウチは8,000円で出すとか。
だから、通う意志のあるお客さんしか来ないようにしてる!これはキャバ嬢のスタンスと一緒!




ゴールから逆算した目標設定が大事




それよりも、目標があるんだったら何歳で辞めるとかじゃなくて、絶対金額で決めたほうがいい。


みんな、単純に〇〇千万とかって言うけど、その貯めたお金をどうする気で言ってるんだろう!?って思う。


お店を出してからがスタートだから、そこを間違えちゃうと大変だよね。
さいごに





※カゴメトマトジュースの広告ではありません(笑)
タクシーの運転手さんからトマトジュースをもらってしまう程の、コミュ力が武器のひなたさん。
とてもパワフルに活動している反面、繊細な部分もあるということが知れました。
キャバ嬢として最前線で活躍し続けるのは限界点があり、誰もがセカンドキャリアを意識する事があるんだと感じました。セカンドキャリアを意識した時に、目をそらさずにきちんと計画や目標を立てそれに向かって努力する事の大切さをひなたさんのインタビューを通じて学びました!