五十嵐美咲の壮絶な過去・・・キャバ嬢になったきっかけは摂食障害!

キャバ嬢の五十嵐美咲が白いレンガの壁の前にいる画像

グループレース1位を6連覇して殿堂入りするなど、歌舞伎町の有名キャバ嬢として知られる五十嵐美咲さん。現在はエリアを六本木に移し、キャバ嬢としても経営者としても活躍しています。

バイタリティあふれる五十嵐美咲さんですが、過去には想像を絶するような苦しい経験をしてきたようです。キャバ嬢という道を選んだことにも深く関係しているという彼女の病とは…。

この記事では、五十嵐美咲さんのプロフィールや、キャバ嬢になったきっかけを中心に、接客スタイルや、経営者として携わっているビジネスについて紹介します。

もくじ

五十嵐美咲のプロフィール

キャバ嬢でありながら経営者としても活動している五十嵐美咲さんはいったいどのような人物なのでしょうか。まずはプロフィールをみていきましょう。

源氏名五十嵐美咲
生年月日1990年12月15日
年齢34歳
※2024年時点
在籍店舗FABRIC LOUNGE ROPPONGI7(ファブリックラウンジ六本木7)
過去在籍店舗・DEEPS(ディープス)
・BASeL(バーセル)※現在のLa Van(ラバン)
・FOUR SENCE(フォーセンス)
・La Van(ラバン)
血液型O型
身長161cm
出身地長崎県
趣味旅行
SNSアカウントInstagram: @igarashi_misaki
X: @igarashi_misaki

Instagramではドレス姿や、イベント時のお礼と報告に関する投稿を多くしているようです。一方、Xには美容のことや自分自身の性格についてなど、幅広い投稿をしています。

家族に対する複雑な思いを吐露している投稿もときどきみられ、InstagramとXであれば、Xのほうが素に近い五十嵐美咲さんを知ることができそうです。

五十嵐美咲のキャバ嬢としての経歴

五十嵐美咲さんが夜の世界にデビューしたのは18歳のときです。地元の長崎県で昼職と掛け持ちをしながらスナックで2年ほどアルバイトをしたのちラウンジ嬢へと転身します。

さらに22歳のときに上京し、以下の歌舞伎町のキャバクラで働き始めます。

  • DEEPS(ディープス)
  • BASeL(バーセル)※現在のLa Van(ラバン)
  • FOUR SENCE(フォーセンス)
  • La Van(ラバン)

ディープスは歌舞伎町や恵比寿に多数の有名店を展開するメディアグループのお店です。また、バーセル、フォーセンス、ラバンも有名なセリュックスと同系列のお店です。

いずれも歌舞伎町で有名なお店でキャバ嬢として勤務していたことがわかります。

五十嵐美咲がキャバ嬢になったきっかけは摂食障害

脊椎と肋骨が見える食欲不振の女の子が背を向け座っている

「人と触れあう時間を多くしたい」という理由からキャバクラで働き始めたという五十嵐美咲さん。

キャバ嬢として働くきっかけには、長年にわたる摂食障害との闘いが関わっていました。五十嵐美咲さんには、どのような過去があるのでしょうか。

五十嵐美咲は拒食症で強制入院の過去がある

高校1年生のときに初めて付き合った彼氏に浮気をされたことがきっかけで、五十嵐美咲さんは摂食障害を発症します。

浮気相手の女の子が細身の女の子だったことから、最初は見返したくてダイエットをはじめたそうです。ダイエットが次第にエスカレートし、何もできなくなるほど痩せてしまったといいます。

生きているのがやっとで、学校へも行けなくなり、強制入院になってしまったこともあったのだとか。

浮気相手の女の子よりもやせ細り、元カレへの思いもとっくになくなっていたといいますが、拒食の症状はとまらなかったそうです。

五十嵐美咲の過食症が彼氏の死で悪化

強制入院を経て拒食は少し落ち着いたものの、今度は過食をするようになった五十嵐美咲さん。

まるで発作のように大量の食べ物を食べていたそうです。5時間くらい食べ続けて疲れ果てて眠ってしまうこともあったといいます。

次に出会った彼氏の支えもあって、過食の症状が落ち着いていたものの、彼氏が病気で急死。どん底状態で過食症の症状がさらに悪化したそうです。

治したいという気持ちをもっていた五十嵐美咲さんは、精神科に通い、カウンセリングを受けたり服薬をしたりと治療に取り組んでいました。

過食症がある程度落ち着くまでに、2年ほどの期間を要したようです。

五十嵐美咲は無理に人と会うようにしていた

過食症で太ってしまい、体重は一時期65kgまで増えたという五十嵐美咲さん。

恥ずかしくて人に会いたくない気持ちもあったようですが、あえて人に会って「誰かと一緒にいる時間」を増やしたといいます。

最初は無理に人と会っていたようですが、自分ひとりでは元の生活に戻れない気がしたといいます。

普通の人と一緒にいることで、食事の量などの感覚が正常に戻っていったり、人と一緒に過ごせる自分に安心できたりと、良い影響があったそうです。

五十嵐美咲は摂食障害を治すためキャバクラで働く

人と一緒にいることで元の感覚や安心感を取り戻しつつあった五十嵐美咲さん。

人と一緒に過ごす時間をもっと増やしたいという思いからキャバクラで働くことを決めます。そして、キャバクラへの入店と同時期に、摂食障害を治すことを人生の目標にしたといいます。

キャバ嬢として働き始めた頃は過食症が落ち着いていなかったものの、働くことで気が紛れたところもあったのだとか。

そして、徐々に過食する間隔があき、徐々にコントロールできるようになってきたそうです。

五十嵐美咲の接客スタイル

五十嵐美咲さんは、自分自身を大切にしながら、お客様から人として好いてもらえる接客スタイルを実現しています。

五十嵐美咲さんは、お客様に自分の想いを伝えることを大切にしているそうです。自分の心を大切に、ブレずに働いてきたといいます。

自分に対してもお客様に対しても正直に生きているからこそ、五十嵐美咲さんの言動は一致しています。

最初は「可愛いから」「付き合いたいから」という感情から始まったお客様でも、五十嵐美咲さんのことを一人の人間として認めて好いているからこそ応援してくれるのだといいます。

正直であるがゆえに、苦手意識のあるお客様とは2~3回で切れてしまうことはあるものの、自分もお客様もストレスをためることがないため、それが平和なのだそうです。

五十嵐美咲さん自身が幸せに仕事をしているからこそ、トップでいつづけることができると語っています。

五十嵐美咲が歌舞伎町から六本木に移籍した背景

五十嵐美咲さんは、上京してから歌舞伎町のキャバクラで働いていました。しかし、さらなる成長を求めて六本木のキャバクラ「FABRIC LOUNGE ROPPONGI7(ファブリックラウンジ六本木7)」への移籍を決めます。

五十嵐美咲さんが歌舞伎町を去り、六本木にエリアを変えた背景や、ファブリックラウンジ六本木7への入店を決めた理由について詳しく説明します。

五十嵐美咲はグループレース1位を6連覇で殿堂入り

歌舞伎町のキャバクラ「FOUR SENCE(フォーセンス)」でキャバ嬢をしていたときには、グループレース1位を6連覇した実績をもつ五十嵐美咲さん。

レース1位が続くなか、お客様含め周囲が「五十嵐美咲さんが1位で当たり前」という状況になってきたといいます。お客様と一緒に頑張る、という感覚は3連覇目くらいまでだったそうです。

だんだんとつまらない雰囲気になってきたため、お店と話し合ってグループレースでの殿堂入りが決まったといいます。

五十嵐美咲が歌舞伎町で感じた限界

「歌舞伎町のキャストとしてこれ以上成長できない」と、限界を感じたことが六本木に移籍した理由だといいます。

歌舞伎町で五十嵐美咲さんを知らない人はいないほど有名になり、お店の居心地もよかったそうです。しかし、ダラダラと働きたくないという思いがあったといいます。

また、自分のお客様にしかついておらず、フリーにつくことが1年ほどなかった状況についても良くないと思っていたようです。

フリーのお客様につかない状況が続けばお客様は減っていく一方だということを考えたとき、エリアを変える選択が浮かんだのだとか。

五十嵐美咲が移籍先を決めた理由

歌舞伎町のキャバ嬢は18歳~20代前半の子が多く、お客様も若い女の子とワイワイ飲みたい人が多いといいます。一方、六本木はもう少し落ち着いて飲みたいお客様が多く、今後のことを考えると六本木が良いと感じたそうです。

六本木のキャバクラのなかでもファブリックラウンジ六本木7を選んだ理由は「スタッフの仕事への向き合い方が素敵だと感じたから」なのだとか。

売れっ子キャバ嬢の五十嵐美咲さんが歌舞伎町から連れてくるお客様に期待するのではなく、六本木で新しく掴んでいこうと言ってくれたそうです。

五十嵐美咲さんの知名度や実績ではなく、五十嵐美咲さん自身を信じてくれていると感じたため、ファブリックラウンジ六本木7への入店を決めたそうです。

五十嵐美咲が経営者として携わっているビジネス

腕を組む女性の経営者

五十嵐美咲さんは、夜はキャバ嬢としてフル出勤しながら昼は経営者をしています。

キャバ嬢が経営者として事業を展開すること自体は珍しくありませんが、五十嵐美咲さんは以下の4つのビジネスを展開しています。

  • ドSウエスト痩身MEMOIRES
  • SPA MEMOIRES御苑店
  • ヘアメイクm
  • ヘアメイクmネイル

経営の勉強をとくにしたわけではないという五十嵐美咲さん。お客様に経営者が多いことから、経営の知識は自然と覚えたそうです。

実際の経営の仕方は完全に自己流だといいますが、順調に売り上げを伸ばしている様子。とくに、ヘアメイクサロンmは、同業種では考えられないほどの売り上げが出ているそうです。

五十嵐美咲さん自身がオーナーであることから宣伝しやすく、もともと良いお店を多くの人に知ってもらえるようになったからだといいます。

また、内装を変更したり、お客様が過ごしやすいようにサービスを充実させたりして、お店づくりにも力をいれていたようです。

五十嵐美咲にビジネスパートナーはいる?

ビジネスパートナーの人たち

経営者としての手腕も発揮している五十嵐美咲さん。「実は有能なビジネスパートナーがいるのでは?」と思う人もいるでしょう。

五十嵐美咲さんはビジネスパートナーの必要性を感じつつも、自分ひとりでビジネスをしているといいます。お金の管理や、経営の方針もすべて一人でおこなうそうです。

スケジューリングなどの細かな業務は人を雇ったり、お給料の計算などは税理士さんにお願いしたりしているようですが、支払いなどの細かなことはすべて五十嵐美咲さん自身がしているのだとか。

経営に関しては、各店舗の損益分岐点をはじめに計算し、その目標にもっていくだけだといいます。売り上げがなければなぜないのかを考え、改善策を考えるそうです。

目標を決め、改善しながら売り上げをあげていくプロセスはキャバ嬢の仕事とも似ている部分がありそうですね。

ビジネスパートナーにお願いするよりも、自分で物事を決めて進めていくほうが五十嵐美咲さんにとってはやりやすいのかもしれません。

現在の規模なら自分ひとりで良いと考えているようですが、人に任せられるようにそれぞれのお店のスタッフを育てていかなければいけないとも語っています。

まとめ:五十嵐美咲は摂食障害を克服し経営者としても活躍中のキャバ嬢

元カレの浮気から摂食障害を発症し、常に病気と闘ってきた五十嵐美咲さん。自身を支えてくれた彼氏が病気で急逝し、一時期はどん底状態に陥ったといいます。

『人と触れ合う時間を増やして元の自分を取り戻したい』という思いでキャバ嬢としてのキャリアをスタートさせ、グループレースでは6連覇、殿堂入りまでに登りつめました。

成長したいという思いから歌舞伎町を離れ、現在は六本木でキャバ嬢として活躍しています。さらに、複数の事業を営み、経営者としても着実にキャリアを積んでいます。

バイタリティあふれる彼女に一度会いに行ってみてはいかがでしょうか?

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